電気ビル物語その9 スタインウェイ物語Ⅰ

5F大ホールにはピアノの名器スタインウェイがございます。今回はそのピアノについて富山大学名誉教授 故黒坂富治先生の回顧禄に沿って触れていきたいと思います。

「ホールとともに五十年」
富山大学名誉教授 黒坂富治

昭和11年4月、私は東京音楽大学(現芸大)を卒業して、富山県女子師範学校、県立富山高等女学校の教諭に就任しました。そのころ富山市には音楽専用のホールが無かったので、音楽会を催すには大変難儀をしました。電気ビルの5階に、ブリュートナー・グランドピアノが備えられたので、富山では最高唯一のコンサートホールとして私たちは度々使用させていただきました。ホールの主任が福村秀夫さんでしたが、福村さんの管理が厳しく、ステージ後ろ幕、黒いビロードの垂れ幕を竹ざおを持って移動させるなど、神経過敏な面持ちとその几帳面さには感心させられました。
私は大間知千鶴子先生を相棒にして、県立冨女の『春季定期演奏会』と銘打って、ピアノの井口基成氏を主演奏者とした音楽会を毎年5月末頃に開催しました。
昭和16年最初の組合わせは、隻腕伍長で有名になられたバリトン伊藤武雄氏ほか、第2回はバイオリンの渡辺暁雄氏と、アルトの千葉静子さん。昭和18年の第3回はバイオリンの巖本真理さん、セロの斎藤秀夫氏とで、ベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」が、目玉曲目でした。中田清兵衛、金井久兵衛、稲波三郎右衛門氏ら、富山の愛好名刺方も応援してくださったし、その頃は音楽会が少なかったせいもあり、大変な人気で入場券は直ぐ売り切れ、鑑賞希望者にお断りするのに骨が折れました。しかしその頃から、だんだん戦争が苛烈になって、ついに破局的な様相がもたらされました。               
                                つづく

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