建設の槌音 Vol.4 初代山田社長の構想その2

四つめに、当時昭和9年ごろの経済社会情勢は、昭和初頭において受けた経済不況の傷跡がようやく薄れたとはいえ、一般の世相は依然として暗く陰湿な状態であった。
こうした時期に日本海電気が大きな社屋を作ることは世上から放漫のそしりを受けることを山田は懸念していた。そこで山田は日本海電気で購入した土地の上に、別個の独立した会社がビルを建て、これを運営していくという方法が最良であると考えた。このことは山田が地域の反応を常に意識しながら慎重な姿勢で対処していたことを裏付けるものである。
五つめに、日本海電気が中心となり他電力需要企業にもこの新会社の設立趣意に賛同して株式を分担してもらうという方針を立て、軌道にのるまでは日本海電気が人事、財務、業務運営についても全面的にバックアップしていくことを考えた。このことは発足当初から赤字覚悟をしており他の株主に迷惑かけないように当分その分を引き受けるといった覚悟の現れである。
その覚悟によって新会社はスタートし、今日に至るも尚電気ビルは地方の産業、文化、教育など公共的施設の役割を果たし、その発展に多大な貢献をしている。
※写真は昭和9年です。北側を見ております。右手に見えるのは位置的に千歳神社ではないかと推測されます。北側に多くの建築物が建っており、運河を中心に発展している奥田地域が見えます。

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