電気ビル物語Vol.23 開館記念の絵葉書Ⅴ

日本海側で、近代的都市型ホテル1号は、大正15年オープンの新潟ホテル( 『日本のホテル小史』より )ですが、昭和10年10月同じく新潟市に万代橋ホテル(第2号)、次いで11年に富山電気ビルホテルが誕生しました。当時、日満博開催に合わせてホテル・食堂の経営を開始しなければならなかったため、地元には経営を任せる適任者がおらず、早急に県外から経営手法を取り入れる必要に迫られていました。

山田昌作社長の人脈と日本海電気東京出張所の調査を経て、東京丸ビル食堂の太田音彦氏が選ばれ、経営委託契約が交わされました。太田氏は経営を任されたとはいえ、東京を離れることができなかったので、帝国ホテルの中村英治氏が副支配人として、事実上統括することになりました。スタッフは帝国ホテルなど東京から集められましたが、それ以外の見習いやウエートレスは地元より、レジスターには日本海電気の出向社員が充てられました。

設備面は、厨房品から家具調度品に至るまで、超一流品が取り揃えられ、スタートすることになりました。日満博の開会に合わせて営業を開始しましたので、開店には、日満博のため富山市を訪れていた謝介石満州国大使代理と牛丸東京市長らが出席するなど日満博開催中は各界の多くの名士が利用しました。開業当初は、大ホールの利用も関連してかなり賑わったようです。(電気ビル五十年史より)

ホテル部門は昭和49年6月をもって幕を閉じましたが、写真のホテル客室内の丸テーブル、机、大広間の八角形のテーブルなどは、当時と同じものか不明ですが、今でも、4階北ロビー、5階ロビーで利用されています。

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