電気ビル物語Vol.13 スタインウエイ物語Ⅳ
この素晴らしきスタインウェイも悲しき冬の時代がありました。
舞台裏の倉庫にひっそりと仕舞い込まれ(それはそれで温度管理もされてはいましたが…)めったに人の目に触れることもなく年に数回のコンサートの際に舞台の上にのぼるだけとなっていました。調律も施されてなく、音が鳴らない鍵盤もあったと聞きます。
ある日ピアニストの竹内祥子さんが、子供のときに弾いたピアノは何処にあるのかとたずねて来られた際に、そのスタインウェイの現状を見て、ピアノハウス竹田楽器富山店の竹田店長を紹介いただきました。竹田さんに早速見ていただいたときに、「このピアノはもしかすると私のおじいさんが調律していたものではないか?」と。シリアルNOからだれが調律していたか分かるので調べてもらったところその事実が分かりました。それからの竹田さんは何かのり移ったかのように一心不乱にピアノを分解して見事な復活を遂げました。
後日いつも演奏いただいている先生が「いったいこのピアノに何をしたのか?」とたいそう驚かれました。
竹田さんのおじいさまは、電気ビルに駐屯していたアメリカ進駐軍によく電気ビルのピアノの調律を頼まれていたらしく、福野から出てくるのが大変なのでジープと免許証を提供されたそうです。(掲載写真)このとき調律していただいていたピアノは米軍が持っていったとの噂です。
竹田さんと電気ビルのピアノの深いつながりは、竹田さんのお孫さんの代で又新たに始まり、このスタインウェイもとても喜んでいるのではと思います。現存のスタインウェイを調達頂いた黒川先生のご自宅にあるピアノも竹田さんが調律されていると伺い、歴史と絆の深いつながりに感動しています。
竹田さんのご提案により、「このスタインウェイは大事に仕舞い込むのではなく、会場の片隅に置いてだれでも弾いていただけるようにいたしましょう。」をいまも守り続けています。
電気ビルの又一つのドラマがここにありました・・・。