電気ビル物語VOL.15 創業時の事務室
―日本海電気から出向していた社員の懐旧談―
私(政二実)は、昭和11年4月に日本海電気(株)電灯課へ入社したがまもなく新会社富山電気ビルで仕事をするように命ぜられた。私は営業課勤務であったが、当時事務室として電気ビル5階の北側隅にあった倉庫(現中ホールの一部)が利用された。事務所内は夏は蒸し暑く、冬は他の事務室と異なりスチーム暖房も無く冬場に私は毎朝出勤して陶器の丸火鉢に炭をおこすのが日課であった。
当時は、日本海電気の役員をはじめ幹部社員が毎日のように事務室へ顔を出したが、事務室には女子社員がいなかったのでお茶汲みも接待や部屋の掃除も私の仕事の一つであった。
当時日満博覧会が開催中で連日、昼夜を問わず5階大ホールで会合、宴会などの行事があり毎日片付けや翌日の準備の為退社するのは深夜12時過ぎが多かった。又4階食堂は毎日夜10時まで営業していたので売上金の整理収納を担当していた私の退社は毎日夜10時30分になり休日は一日も取れなかった。