電気ビル物語Vol.24 開館記念の絵葉書Ⅵ
現在もテナントとして入居する富山社交倶楽部は、当時東京にあった工業倶楽部の地方版であり、富山市における文化サロン的な役割を果たし現在に至ってます。
大正2年9~10月に富山市で開かれた1府8県連合共進会の後、県知事と地元経済人が中心となり、記念倶楽部を設立しました。昭和11年初めに解散しましたが、11年は県庁、電気ビルの建設、県内外の事務所の設置、そして日満博と富山の将来への展望が大きく広がる契機の年でした。
このような情勢のもと、記念倶楽部解散を残念に思っていた山田社長は、記念倶楽部の元幹事や県知事らと相談し、地域発展のため、産業・経済・文化をはじめ各界の意見・情報の交換と社交の場として富山社交倶楽部を電気ビル内に設けました。(電気ビル五十年史より)
写真の4階食堂は現在の光の間、社交倶楽部ラウンジ(ロンヂと表記されています)は現在の南ロビーであると思われます。