建設の槌音 Vol.2 日満産業大博覧会の開催

□日満産業大博覧会の開催
昭和7年の満州国独立とともに、中国、韓国との貿易が活況を呈してきた。富山県の地理的条件から富山の港は対岸貿易の要衝になり、県都富山市の役割も一段と重要になってきた。
このような情勢下で、富山市をはじめ県内の経済団体から、廃川地の空き地を利用して日満親善を目的とする博覧会の開催を求める声が起こってきた。その結果、廃川地内での日満産業大博覧会の開催が決定した。
ところが当時の富山市には大量の県外客を収容できるホテル、又全国規模の大会を開催するにふさわしい大ホール、更には多くの人が会食できる本格的なレストランなどは皆無であった。そのため、同博覧会の開催に当たっては、これらの近代的な施設を新設する必要に迫られるに至っていた。たまたま日本海電気の新本社ビルの建設が計画されており、同社山田社長の描く総合ビルの構想が博覧会関係者の求めていた施設を全て満足させるものであった所から、日満博開催に焦点を合わせてその建設を進めることになった。

※写真は電気ビルから西を望んだ日満博の様子です。間近に県庁とNHKのアンテナが見えます。

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