電気ビル物語Vol.10 スタインウエイ物語Ⅱ
昭和20年8月1日夜、富山大空襲によって富山市は灰燼に帰しました。電気ビルの5階は、屋上の戸口から火が入り、大切なブリュトナー・ピアノが消失してしまい、万事休すとなったのです。次いで富山に進駐したアメリカ軍司令部が、電気ビルを宿泊と占拠事務所にしてしまいました。4階の和室、木目の美しい柱にもペンキを塗る始末、そして彼等の生活必需品であるからとて、当時北陸配電の小講堂に備えてあった、グランドピアノを有無をも言わさず取り上げてしまったのです。私は義憤を感じ抗議すべしとして、電気ビルに掛け合ったのですが、西泰蔵さん、山本一之助さんは、「ピアノ一台で事が済むのなら我慢しましょう。〝ビルディング全部を取り上げる〟と言い出されては、たまらない」と、わたしをなだめられました。
進駐軍の電気ビル使用料は、富山県が負担支出されたようで、会計経理の五十嵐謙治さんが、小柄の身体で覇気満々、帳簿と算盤を脇に抱えての、交渉姿勢は頼もしく感心させられました。その後ホール設備も進み、ピアノ設備も必要になってきました。私は社の依頼により、浜松、東京など周り、京都で新品でないがスタインウェー・グランドピアノを探し当てました。当時としては手ごろの逸品でしたので、山本一之助さんが「物のない時に優秀品が見つかり、早期に納品されてありがたい」と謝意を表されました。それからホールを拠りどころにした音楽活動が、復活されたのです。中部音楽教育研究大会が開催され、故諸井三郎先生が講師として来会され助言指導されました。その時金沢大学佐々木教授からは、「長時間座るので椅子が柔らかでなければ。大丈夫かね?」と訊かれました。ホールもだんだんと整備され、立派な調度品も補充されました。
つづく