電気ビル建設の槌音
建設の槌音 Vol.3 初代山田社長の構想その1
当時の富山は人口10万人に満たない地方都市で、このような産業文化センター的な総合ビルの構想は戦前の当...
当時の富山は人口10万人に満たない地方都市で、このような産業文化センター的な総合ビルの構想は戦前の当...
―日本海電気から出向していた社員の懐旧談― 私(政二実)は、昭和11年4月に日本海電気(株)電灯課へ...
□日満産業大博覧会の開催 昭和7年の満州国独立とともに、中国、韓国との貿易が活況を呈してきた。富山県...
これも良くお問い合わせがありますいわゆる電気ビルマークの由来ですが、このことに関する記録がありました...
皆様から度々ご質問があります建設に至るまでのお話を「建設の槌音」として、まとめさせていただきます。又...
この素晴らしきスタインウェイも悲しき冬の時代がありました。 舞台裏の倉庫にひっそりと仕舞い込まれ(そ...
昭和33年10月に開催されました、第13回富山国体に御幸啓遊ばされました、天皇、皇后両陛下が、電気ビ...
先日、富山ロータリークラブの松任敏雄様より、池波正太郎先生著の「わが家の夕めし」講談社に、電気ビルの...
電気ビルには2つの不動のものがあります。 一つは地下の時計。もう一つは、この椅子です。4階北側エレベ...
昭和20年8月1日夜、富山大空襲によって富山市は灰燼に帰しました。電気ビルの5階は、屋上の戸口から火...