電気ビル建設の槌音
建設の槌音 Vol.4 初代山田社長の構想その2
四つめに、当時昭和9年ごろの経済社会情勢は、昭和初頭において受けた経済不況の傷跡がようやく薄れたとは...
四つめに、当時昭和9年ごろの経済社会情勢は、昭和初頭において受けた経済不況の傷跡がようやく薄れたとは...
「電気ビル 点の記」 「剣岳 点の記」がいよいよ公開となりました!楽しみですし、富山の素晴らしい山岳...
4階の2号室のガラス扉の一枚です。 木枠に真鍮の兆番。(74年も磨いているので兆番もつるつるです)そ...
当時の富山は人口10万人に満たない地方都市で、このような産業文化センター的な総合ビルの構想は戦前の当...
―日本海電気から出向していた社員の懐旧談― 私(政二実)は、昭和11年4月に日本海電気(株)電灯課へ...
□日満産業大博覧会の開催 昭和7年の満州国独立とともに、中国、韓国との貿易が活況を呈してきた。富山県...
これも良くお問い合わせがありますいわゆる電気ビルマークの由来ですが、このことに関する記録がありました...
皆様から度々ご質問があります建設に至るまでのお話を「建設の槌音」として、まとめさせていただきます。又...
この素晴らしきスタインウェイも悲しき冬の時代がありました。 舞台裏の倉庫にひっそりと仕舞い込まれ(そ...
昭和33年10月に開催されました、第13回富山国体に御幸啓遊ばされました、天皇、皇后両陛下が、電気ビ...